誕生日が嬉しくない。大人になった我々は何を祝うのか?
どうも、りーです。
20過ぎたころから、誕生日が嬉しくない。
小さいときは、
・プレゼントがもらえる
・友達が家に来て楽しい
・好きなものを食べられる
嬉しい誕生日。
しかし、大人になった今、一体何を祝ってるのかわからなくなった。
淡々と、もう〇〇歳か、はえーな。くらいの感想。
あの輝かしい誕生日はどこにいったのか?これからの誕生日は、何を祝えばいいのか。
今日は、誕生日の本音について語ります。
いつから誕生日の喜びがなくなった?
誕生日の喜びはいつからなくなったのだろう。
ハッピバスデートゥーユー♪が、ただの形式になったのはいつだ。
・高校卒業
・成人式
・友達を家に呼ばなくなったころ
ピンとこない。あれ、わからないぞ。
高校のとき、クラスの女子が「〇〇ちゃんおめでとー」ってしてて、誕生日の子が泣いてるのは見たことがある。
泣いてたし嬉しそうだった。ずっ友だよ!といってた。
それはいい。質問を変えて、誕生日が怖くなったのはいつからだ?自分の内面だけの話でいうと、
年の割に成長してない自分を実感したとき
年をとるだけで体も心も急激に成長していたころは、誕生日が嬉しかった。それが、いつのまにか、年を取りたくない!に変わる。
周りを見ても仕事で忙しそう。
あとは、人間関係が希薄になり始めるときか。とすると、
本音を話さない、うすっぺらい大学生活
ここもある種のポイントではないだろうか。高校生活はまだ青春!って感じで、本音を話す場面もあるけど、大学は違う。
一緒に、学食、サークル、ゼミを共にしても「他人」って感覚がする。
1年のはじめに仲良かった人も、授業が別になると、申し訳ない程度に「うす」というくらいになる。
で、何かのはずみで誕生日を祝われても、平素で心が通ってないので、表面上は
ありがとう!お前ら最高!パシャ!
SNSにあげ終われば、いつもの仮面をかぶった生活が始まる。
・成長してないのに年はとる自分への落胆
・希薄な人間関係で祝われる不自然さ
ここで何か狂ってる気がする。
あ、SNSで思い出した!
SNSの「誕生日おめでとー♪」が負担
私がひねくれてるだけかもしれないが、FacebookなどのSNSでよくあるあれ。
「〇〇、久しぶり!誕生日おめでとー♪」
もちろん、久しぶり!とは1年ぶりということだ。普段はまったく交流しないが、誕生日のときだけやってくるコメントたち。
正直、嬉しくない。
なぜなら、SNSからくる誕生日コメントは、私の誕生日を覚えていたわけではないから。
SNSの通知機能が教える、「今日は、のりぴーさんの誕生日です!お祝いしましょう!」を見て、
「あ、一応コメントだけ送っておくか、ポチ」くらいの気持ち。
どこに祝いの気持ちがあるのか。
しかも、通知がきてることはみんな知ってるから、コメントを送らないと逆に無視した感じがして嫌なのだ。
送っても送らなくてもつらい。なにこれ、拷問?
しかも、友達らしい人の数だけあるのだから、負担でしょうがない。
サプライズされたときの反応に困る
サプライズ好きの人にはもうしわけないが、反応に困るときがある。
もちろん、気持ちはとてもありがたい。しかし、
・泣くレベルの反応を求められる
・感動コメントをいわないといけない
・サプライズがあることにうっすら気づいた
こんな場面にでくわしたときは、内心「ちょっと大変だな~」と思っている。でも、いえない。ここでも、
ありがとー!みんな最高!ずっと友だよ♪
というしかないのだ。
サプライズは、いつでもみんなが嬉しいものではない。特に、気を使いすぎる人にはハードな時間になる。
誕生日は、何をどうやって祝えばいい?
いろいろ書いたが、自分と相手の誕生日は何をどうやって祝えばいいのだろうか。
誕生日が嬉しくない要素として、
・成長してない自分に落胆
・SNSやリアルでの希薄な人間関係
・サプライズで無理して喜ぶ
と書いた。これを踏まえ、誕生日は
・〇〇歳までよく頑張ったなと
・気心の知れたメンバーで
・気を使わない程度にやる
特に、「〇〇歳までよく頑張ったな」が大切。
あなたも知ってると思うが、人生をプレイしてるなら、どんなに笑顔で悩みがなさそうな人もつらいものだ。
お互いに、〇年もよく人生を頑張ったな!とねぎらうくらいで、ちょうどいい。
お前のつらさや楽しさも、全部はわからないし、それほど興味もない。でも、ここまでくるのにいろいろ大変だったろ?
とりあえず、お疲れさま。誕生日、おめでとう。
これくらいで、ちょうどいい。
誕生日、どう思いますか?